Monthly Archive 8月 2022

9月 御朱印お知らせ② 秋

直書き 書置き
「三心御朱印」(中秋御朱印)になります。
書置きの郵送対応可能です。直書きの郵送対応は、全忠寺オリジナル御朱印帳のみ可能です。
郵送対応の詳細は全忠寺ホームページご覧ください。

奉納料 2面使用タイプ
    白和紙       800円
    黒和紙       1000円
    書置き       1000円
    
4面使用タイプ
    白和紙(直書き・書置き) 1500円
    黒和紙(直書き・書置き) 2000円

残暑厳しい日が続いていますが、蝉の声が「つくつくぼうし」になったり、日が短くなるなど、所々に秋の訪れを感じます。
御朱印も、初秋をイメージしています☺️

また、9月は両祖忌(道元禅師・瑩山禅師の命日)ということで、道元禅師のお言葉をお書き入れしたいと思います。

「喜心・老心・大心」の

三心です。


「三心」は曹洞宗の開祖 道元禅師が著された「典座教訓」で示されました。
「典座」とは、食事を司る和尚さんの役の事です。

道元禅師は、日常生活が全て修行であり、その中に真理があると示されています。
特に、人間の重要な営みの「食事」に関しては沢山の書物を残す等、重要視され、「食」を通して私たちに大事なことを教えて下さっています。

✨「喜心」 いわゆる喜心とは、喜悦きえつの心なり。

今こうして、み仏の教えとめぐり逢い、大切な修行として調理に臨むご縁を喜ぶ心。何ごとも、嫌々ながら取り組んでは良い結果には至らないでしょう。調理係という役割をありがたく受け止め、食べる人の幸せを念じて積極的に努力してこそ良い料理となり、ひいては相手も自分も悦びを得ることにつながるのです。

✨「老心」 いわゆる老心とは、父母ぶもの心なり。

親が見返りを求めずに我が子を育てるように、食べる相手を深くおもいやって調理する慈しみの心。優しい老親が、自らの寒さを後回しにして寒くないか、困ったことはないか、と親切に子を気遣うように、自分の都合で作った料理を押し付けるようなことなく、相手の立場に立って調理方法や味付けを変えながら、手間や苦労を惜しまずに調理します。

✨「大心」 いわゆる大心だいしんとは、其その心こころを大山たいざんにし、 其その心こころを大海たいかいにして、偏無へんなく党無とうなき心こころなり。

大きな山がどっしりと動かぬように堅固で、また広い海が清濁せいだく全ての流れを選り好みせずに受け入れるような偏りなく寛ひろい心。良い材料とそうでない材料、あるいは相手の好き嫌いによって、作業の態度を変えるような私的な価値判断を差し挟まず、選り好みせずに常に精一杯の努力を惜しまない万全の態勢で調理します

このように、「食」を司る者の心構えを示されていますが、食だけでなく私達の日常のあらゆる場で大切な心構えではないでしょうか。

9月 御朱印のお知らせ 両祖忌

直書き 書置き
「両祖忌御朱印」になります。
書置きの郵送対応可能です。直書きの郵送対応は、全忠寺オリジナル御朱印帳のみ可能です。

奉納料 2面使用タイプ
白和紙     800円
黒和紙    1000円
書置き     1000円

4面使用タイプ
白和紙 (直書き・書置き) 1500円
黒和紙 (直書き・書置き) 2000円

曹洞宗では、永平寺を開いた道元禅師さまと總持寺を開いた瑩山禅師さまを両祖さまと呼び奉っています。
道元禅師さまは、建長五年(1253年)8月28日に54歳で、瑩山禅師は、正中2年(1325年)8月15日に62歳でご遷化(亡くなる)されました。
当時、使用していた旧暦(太陰暦)では命日は違いますが、現在使用している太陽暦に変換しますと、両祖様の命日はいずれも9月29日になるという奇跡❗
ということで、9月29日を「両祖忌」と呼び、遺徳を偲びご供養をします🙏
「両祖忌」には永平寺・総持寺でも、1週間にも及ぶ大法要が毎年執り行われます。

8月 御朱印 花火御朱印 new‼️

直書き 書置き
「花火御朱印」になります。郵送対応可

直書きの郵送対応は「全忠寺オリジナル御朱印」のみ可能です
郵送対応の詳細は全忠寺ホームページをご覧ください。
 プレビューhttp://zenchuuji.main.jp/御朱印 郵送/(新しいタブで開く)

奉納料
通常御朱印帳2面
白和紙  800円
黒和紙  1000円

夏の風物詩の一つ花火🎆過去2年はコロナウイルスの影響で、花火大会は中止ばかりでしたが、今年は再開するところが多くなるようです。コロナ対策を万全にして、観に行きたいところですね✨

お書き入れの言葉は「光陰虚しく度ること莫れ」(こういんむなしくわたることなかれ)
参同契というお経に出てくる一節です。

日本にも「光陰矢の如し」という言葉があります。
光陰とは月日、つまり時間の経過の事を言うのですが、時間というのは、実に不思議なもので、同じ長さであるはずの一時間という時間も「皆さん、今から一時間黙って正座をして下さい」となると非常に長い一時間になりますが、友達と楽しくおしゃべりをする一時間はあっという間に過ぎ去ってしまうものです。
私達はよく「時間だけが空しく過ぎて行く」という表現を耳にしますが、考えてみますと、時間が過ぎるのに空しいとか空しくないという事はなく、過ぎて行く時間を私達が空しく過ごしたり、有意義に過ごしているのです。
その時によって長く感じたり、短く感じたりする時間。
過ぎ去ってしまうと、あっと言う間に感じられる時間。
そして過ぎ去ってしまうと二度と自分の元に戻って来る事のない時間。

お盆が過ぎると、今年も残り3分の1になります。有意義に過ごしていきたいものです。
(曹洞宗北海道管区センターHPより抜粋)